『淡の間とわたし』 第8話 浅倉利衣さん × 淡の間

淡の間が「いま話を聞いてみたい人」を毎回ゲストに呼び、対談を進めていくマガジン『淡の間とわたし』。前回に引き続き、浅倉利衣さんをお迎えして行われたリモート対談の様子をお届け。

人生の土台づくりの話題から、淡の間が利衣さんに「どうしても聞きたかった」テーマについて話題は進みます。「批判が来たらどうしようかと思いながらいま喋っている」と淡の間が言いながら利衣さんに吐露したテーマ。ここだけでしか読めないふたりの対談を、今週もどうぞお楽しみください。

浅倉利衣さん(R)
淡の間(A)

目次

  1. 手探りで感覚を研ぎ澄ましながらちゃんと観察をしていれば、何が起こっているかをちゃんと把握できる
  2. 外野の声だけに耳を大きくしないでほしい
  3. 淡の間から利衣さんにどうしても聞きたかったテーマ
  4. 自分軸とわがままを混同して考えてしまう人
  5. 30代、40代、50代を迎える淡の間の展望は?

手探りで感覚を研ぎ澄ましながらちゃんと観察をしていれば、何が起こっているかをちゃんと把握できる


F「利衣さんがさっき言ったように、『心の土台を作るのってなんでそんなに時間がかかるの?』っていう人にほど畑をやってもらいたいですよね。プランター菜園、プランター栽培でも良いんだけど」
R「ちょっと、ベランダ菜園やってみませんか?っていう」
F「そう!そう!それでもいい。本気で畑やろうとすると、まず一年目何をするかというと、まずは畑の土台を作るために土の栄養分を増やすための植物を植えたりするじゃないですか」
R「うんうん」
F「何事も段階があるんですよね、物事を育てていくための段階が」
R「段階がある!そう。だってベランダ菜園にだって時間かかるからね」
F「かかります。そもそもそんな簡単じゃないし」
R「簡単じゃないけど、自分で調べて、こうかなこうかなって手探りで、感覚を研ぎ澄ましながらちゃんと観察をしていれば、何が起こっているかをちゃんと把握できる。だからベランダ菜園って自己観察と一緒だなって思う」
F「うん!そうですよね」
R「余計な手だし口出しとかじゃなくて、観察して見守って、俯瞰してただ見つめて。今何が必要かな?って研ぎ澄ます感覚。で、うまくいかないものがあったら、ただ、これはうまくいかなかったな〜育たなかったな〜って受け止めて、じゃあこれはどうしたらうまくいくのかな?って考えたり。土?水やりの回数?摘芯やわき芽のやり方がもしかしたら適してない?時期?タイミング?とか探りながら観察してまた気づきを得ていく」
F「うんうん」

IMG_8099のコピー

(写真:利衣さんよりご提供頂いた、家庭菜園の様子)

R「わたし思うんだけど、Kanやってても、人間ドラマの中にすごく思いっきり入り込みすぎるより、ちょっとそこから出て見たり、こういうスマホの小さい画面から抜け出して、もうちょっと自然とか動植物とかに目を向け始めると全然感覚が変わってくるような気がするんだよね。野生の感覚を取り戻すというか」
F「ほんとですよ」
R「ここに生きてるの私たち人間だけじゃないから」
F「スマホで見てる世界だけで右往左往するほど勿体無いことはないと思います」
R「勿体無いよ」
F「わたしコロナ禍の唯一の恩恵があるとしたら、自分にとって大切なものが明確になったことと、人と適度な距離を取れるようになったことだと思うんですよ。自分の時間とか、人との境界線をソーシャルディスタンスという概念になっていますが、そういうものを罪悪感なく測れるようになったことはコロナ禍の恩恵、メリットだったんじゃないかなって思ってい て」
R「うんうん」
F「元々内向的ですけど、わたしなんかは。ほぼ8対2ぐらい、いや9対1かもしれないですね。そのくらい人と関わってないんですよ」
R「ふふふ」
F「でもそれがわたしにとっては丁度いいんですけど。人との関わり方すらも他人軸基準になっている人って多いんですよ。何につけても『誰かが〜』とか『何かに〜』とか頼らずにはいられない。そのくせに自分の体調とか自分の判断ではない基準で『なんでわたしばっかり?』って感じやすいという悪循環になってる人多すぎるじゃないですか」
R「確かに多いかもね」
F「だから自分を優先にする比率を作ることすら怖くてできないという人はそりゃ辛いわって思う」
R「つらい。その環境辛かったら出よう?」
F「うんうん、そうそう。悪循環の環境から出る覚悟がまず大切なのに、人からどう思われるんだろう?と先に思ってしまうとか…あーもうそういうの辞めよー!って思うんです」
R「あははは!」
F「誰もなんも思わないから!」


外野の声だけに耳を大きくしないでほしい


R「あははは。でもさ、わたしもそういう時あったから、気持ちはわかるんだけどさ」
F「うんうん、私もわかる」
R「でも、今は思うんだよね。悪循環に依存している状態に意識を持っていくってことは、その他人に自分の人生明け渡してるってことだと」
F「そうなんですよ、すっごい気持ちわかります。わたしは会社員辞めて半年間離れた小島にリゾートバイト行った時『ふきちゃんは海女になった』とか」
R「そうだったんだ!」
F「色々言われたんですよ、なんかよくわかんない事してるね〜みたいな」
R「うんうん」
F「でも今はその人たち、大概わたしの人生に関わりのない人たちだから」
R「あーそうね」
F「外野というものはそういうものです」
R「そうねそうね、やっぱり何か言うってことは、気になってるってことだから。その人にとって。好きの反対は無関心だもんね」
F「そうそう!そうなんですよ!だから外野の声だけに耳を大きくしないで欲しいですね」
R「いやほんとに。むしろ無視くらいで良いと思うよ」
F「無視くらいでいい。自分に都合の悪いことから目を背けることはまた違うけど。だから何かを始めたいとか、自分を優先にしたいとか。どうやって自分軸を作ればいいかわかんないって言ってる人は、まず自分軸と他人軸の違いを知ってもらいたいんです」
R「ほんとそう。だってさ、ふきちゃんとわたしだって今だってまったく言われないわけじゃないじゃない。色々言われるじゃない」
F「どうなんだろ?最早わかんないです。ははは」
R「ははは!わたしももうさ、わかんないというより、たまーに直で来たりとかさ。だからそういうのとかも、それに惑わされないっていうか。たとえば、あー私がこの人にとってトリガーになってるのかもね、とか、これは私に対しての攻撃ではなく、その人がその人の内側と戦ってるだけなのね、とか、俯瞰して見ることができる」
F「そうですね」
R「あとは、受け入れがたい言葉に対峙したらその贈り物を受け取らなければいいんですよ。贈り物は受け取らなければ、その人のもののままだから。それに、その人があなたのこと幸せにしてくれるわけないじゃないですか」
F「そうなんですよ。本当にそう」
R「うんうん」
F「次に、今日私が最も利衣さんに聞きたかったテーマについて話しますね。Kanをやってる上で特に感じることが多い疑問であり、わたしの人生の中でも最大の課題でもあるんですけど。なぜ女性は自分のキャパシティーを超えた体験を求めるのか?具体的に言うと、出産と子育てについてなんですけど…」

淡の間から利衣さんにどうしても聞きたかったテーマ

F「ちなみにこれを読んで、各方面からすごい批判がきたらどうしようと思いながらしゃべっています…」
R「大丈夫大丈夫。話してみて」
F「ありがとうございます。えっと、どうして子供が欲しいと願いながら、子供を作って、結局1人になりたいと思っちゃうのですか?どうしてそういうわがままな発想になっちゃうんでしょうか?」
R「あー、それは…体験しました」
F「それは、どうしてなんですか?」
R「えーっとシンプルに、まず自分の時間が本当にない」
F「うんうん」
R「と、感じる」
F「うん」
R「そして、実際にない。特に小さければ小さいほど夜も何時間おきに母乳をあげるために起きるし。泣いて、まだ言葉でコミュニケーション取れないから常に抱っこしたり。」
F「うんうん」
R「だから睡眠時間も取れなくなってくると、やっぱり辛いよね。精神にも影響してくるし。」
F「うんうん」
R「だからそこのリズムをつかんでいくのは、わたしは数年単位で時間がかかると思うの。まず、産後はエストロゲンの分泌が一気に減るから、体自体徐々に戻るまで時間もかかるし。わたしもやっとだもん、時間があるって思えたのは。そして、成長の段階段階でまた新たな課題というか学びが出てくる。だからこれは、子供が欲しいと思って子供に恵まれてね、授かって、今こういう状態にあるってことは、その人自身が、わたしもそうだけど、この魂の学び(子育て)をしたくて産まれてきた+この魂の学び(子育て)が今世では必要ですよっていうふうに課題を授かってると思うの」
F「うんうん」
R「だからもう、その課題をいかに楽しむしかないなと今は思う」
F「うーん、なるほど」
R「だから今わたしにとっても、子育てというか子供とというか、家族との関わりがすごく大きい魂の学びの一つだよね」
F「うんうん」
R「実際に子どもと対面しないと分からないことだからそうなっちゃう気持ちはよく分かる。だけどその中で、自分にとってのバランスだったり、捉え方だったり、考え方とか、その都度その都度ただ学びのプロセスなんだなっていうことにも気づけたかな」
F「うんうん。そうなんですよ。わたしもなぜ人は子供を欲しがる、あるいは子供を産むんだ ろうって、やっぱり本能からくる欲求だと思うんですよね」
R「うんうん」
F「生き物である以上、自分の種を残すとか、自分が生きてきたことを繋いでいくっていうことは誰しも考えますよね。 それは必ずしも子孫という意味だけじゃなくて、何か生み出したものとか、クリエイティブな創作物とか、自分の能力による功績とかでもいいと思うんですけど。自分が残したものだったら」
R「うんうん」
F「ただ作るという点においては単純じゃないですか。基本的にはセックスすれば子どもができますから」
R「うんうん」

自分軸とわがままを混同して考えてしまう人


F「なにか絞り出して物事をつくるとか、社会的な功績を残すことというよりかは、生殖によって子種を残すことってとってもシ ンプルなことだと思うんです。もちろんそれが叶う人叶わない人いますけど。そして、世の中にのさばっているスピリチュアル概念とも重なってくるんですが」
R「うんうん」
F「自分軸とわがままを混同して考えちゃう人って多いじゃないですか。自分の思い通りになにかをやることとか、もっとわがままでいいってこと?みたいな意味で都合よく捉えちゃうという」
R「はいはいはい」
F「すると、本能に従って子供をつくってみたけど、その後の面倒をどうやってみていいかわかんないみたいな、無責任さが浮き彫りになる。要は自分の欲求に対して理性が効かない人、いわゆる本当の意味で責任が果たせない人がすごく多いんだなーと思っているんです」
R「うんうん」
F「本能で残したい、その気持ちはわかる。でも、残したいのその先を考えない」
R「うんうんうん」
F「体験したことがないがゆえの疑問なのですがどうしても分からないんですよね…」
R「そうね。正論だと思うし一理あると思う。ただ私、コントロールを越えたものがあるというかね、それを昨年体験したんだよね。わたしもすごく色んなことをコントロールして頑張ってきた部分もあるから」
F「子育てをですか?」
R「子どもができる前も。自分のこともかな、すごく支配的だった」
F「そうだったんですね」
R「その時の自分って、時間もコントロールしたり、自分の心というか精神も保つためにコントロールしたりとか、それが良い悪いじゃなくて色々体験してきたけど、それでも子どもと言う存在はコントロールが効かない全く想定外な存在だったhttps://www.instagram.com/p/CGz0kMZJD0i/embed/


F「なるほど…」
R「完全なる1人の生き物。それがあまりにも純粋無垢で、一番自分にとって近い鏡のような存在でもあるじゃない」
F「うんうん」
R「あまりにも純粋に見せてくるから、直視するのが辛いこともあるし」
F「うん、そうですよね」
R「でも考えようによっては想定外な対象に向き合うおかげで適応力がすごく身につくなと思う」
F「なるほど、その場その場での臨機応変な順応力みたいなものですね」
R「そう。それが女性性を育むことに繋がるのかなと。コントロールするというより受け容れることができる。だから去年の暗黒期体験前のわたしと今のわたし、全然違うよ。やっぱり。もう、委ねてますから(画面後ろに映っている娘さまをこっそり指差しながら)」
F「ふふふ」
R「ははは。でもさ、今なら分かるけれどコントロール(支配)って、恐れからきているのも多い気がするのね。それは、去年の破壊と創造のような体験が起こって以降、少しずつ元の枠組みから外れていく過程で感じたのね。たとえば教育も、学校休んだら、次から行かなくなったら困るから絶対に行かせなきゃいけないとか。これも支配的感情から湧き出る恐れが根底にあると感じる」
F「うんうん」
R「だからこう、不登校とかの子を、大丈夫かな?って視点で見ちゃうとか。本当に、今までの自分は決められた概念や固定観念の世界の中で生きていたんだなって、実感したの」
F「子育てってまだ未体験だけど、普通の三歳児はこうですとか、小学生の普通とか、お母さんたちとの間での会話とか、固定観念で埋められた世界が想像しただけでもう無理ってなっちゃってます」
R「ははは、うんうん。だからわたしあまりそこに関わってないけど。でも本当に細かいことでもそうだと思う。例えば平均体重が〜とか平均身長が〜とか。平均ってそもそも何?ってとこから今はもうわたしは疑問なの。あとは、相対的評価にしてもそうでさ、全てがそつなく平均より上だったらOKで、一方、この部分はすごく突出しているのにこの部分だけ平均より下だと相対評価的にNGって、それはどういうこと?って思う。何も考えないでいると飲まれちゃうけれどよくよく見ていくと『それって必要?』『それっていつからそうなった?』っていうのがすっごいあるなって思ったわけ」
F「なるほど」
R「だから、自分から枠にはまりやすい人は注意」
F「うんうん」
R「自分から無意識のうちに枠にはまりやすい状況っていうのが、教育とか子育ての場合はめちゃくちゃあるなって個人的に思ったの」
F「なるほど」
R「母親になると自分自身もそうなりやすい。」
F「うんうん」
R「もしはまってしまってもそこから離れられれば楽ちん。もちろん体力的に大変だったり大変なことはあるよ。けど、スピリットの部分では手を離せるとだいぶ楽になる」
F「なるほどね、うんうん」
R「だから結局、全ては自分から!」
F「何事も自分から始まりますもんね。わたしが子育てするのが怖いとか自信ないっていうのは、まだ残る臆病さから来てるのかも。自分の分身を見るのがめちゃくちゃ怖いですし、それを通して自分の至らないとこを見るのがすごく嫌」
R「はいはいはい」
F「今のままでも充分幸せなのに、変わってしまうことも怖いですもん」
R「あっそういうのあるよね!わかるわかる。今満ち足りてたり幸せな感じだと、これ変わってほしくない〜って思うよね」
F「思ってしまいますね」

画像2

(対談中、利衣さんに本音を吐露する淡の間の様子)


R「その気持ちはすごい良くわかるなー。わたしもあったよ。ただ去年の出来事をきっかけに、幸せさえもただ流れていくものって思ってるから。幸せさえも掴もうとしてないっていうか。そこを味わって通過して、はいまたあっち行って、また違うものに出会って通過していく、みたいな。そういう感覚かな〜今は」
F「なるほど」
R「だからふきちゃん、これから楽しみじゃない、更に」
F「ふきこジュニア、ちょっとどうなるんだろう」
R「ベビーシッター行きます」
F「お願いします、本当に。どうなっちゃうのかな…いやわかんないです〜わかんないな〜!」
R「わかんないよ!なってみないと、ほんとわかんない」
F「でも、絶対に今のうちにやらなきゃいけないって思っているのが、基礎体力づくりなんですよ」
R「あっ自分のね!」
F「そう!母親になるには基礎体力づくりを始めとかないと、って切実に思います」
R「それはあるといいと思う」
F「ですよね!」
R「うん、体力は必須!」
F「例えば友達の子どもと一緒に遊ぶみたいな1日があるとするじゃないですか」
R「うんうん」
F「わたし、数時間遊んだだけですごい疲れてますもん」
R「あははは!クッタクタだよね」
F「クッタクタ。ちょっとこれが毎日ってどういうこと…?って思っちゃいます。親は本当にすごすぎる」
R「いや、あの、これが毎日です」
F「そうですよね、だからこそなぜこんな大変なことにわざわざ飛び込むわけ…?って心から思っちゃう」
R「あはははは!でもやっぱり愛する人との間に生まれてきた命って、なんとも言えない愛おしさがあるんだよね」
F「いつも子どもがいたらと言う状況をイメージする時、自分の斜め下あたりを見ていて、ここに自分のジュニアがいるイメージをするんです。そうすると確かにこう愛おしくてくしゃくしゃに(くしゃくしゃに撫でる動作を)したくなっているかも」
R「わたしの勝手な想像は、ふきちゃんに子どもがもしできたとしたらもう、なんていうのかな、いろんな壁にも自分からぶち当たりながら試行錯誤をして、元々秘めているド級愛みたいなのが開花していきそうな気がする」
F「確かに、それは分かります。マクドナルド食べさせてもらえない家だったからいつからハッピー セット食べさせようみたいなことは考えちゃう」
R「細かい!あははは」
F「でも、結局抑圧したり我慢したことって後から自己責任でやりたくなっちゃうじゃないですか」
R「うんうん」
F「なんでもそうだけれどそのバランスが難しいよなって考えちゃいますね」
R「おもしろーい!」
F「抑圧させずに育てるって、どうしたらいいんだろうって」
R「そうだよねー!いやーもうこれはやっぱりね、体験の積み重ねだよね」
F「そうですね!でも今日の利衣さんとの会話で、悪くないかな、ちょっと興味が湧いている自分がでてきました」
R「すごーい!!!」


30代、40代、50代を迎える淡の間の展望は?

F「利衣さんへの『22の質問』でね、30代、40代、50代になる淡の間の展望は?って聞かれたんですが難しいですね」
R「うん、それが聞きたかった」
F「なるべく細く長く今のスタイルを続けていきたいですが…、今までずっと『絶対これはないだろう』と思うことに出くわしたり、ビジョンとして浮かんでいたものが現実になってしまうという具現化の積み重ねがわたしなんですよ」
R「うんうん」
F「絶対これはない、おそらく自分はやらないだろうなって思っていることにことごとく着地してしまうというかそっち側に落ち着いてるんですよ。例えばアパレルのショップスタッフとか、占い師的な今の仕事もそうだし」
R「うんうん」
F「あとマッチングアプリで彼氏ができるみたいなのもそうだし」
R「はいはい」
F「自分より背の低い人は嫌だと思っていたのに、結局収まりやすいと言うか、好きっていうか、パートナーになりやすいみたいなこととかも(笑)自分の脳みその範疇では測れないことというか良くも悪くも反応してるものに引き寄せられるんだなって改めて思います」
R「あー!なるほどねー!」
F「そう。すでに自分の脳みそにあるから、それが良くも悪くも、自分に必要であれば引き寄せられてしまう。課題として必要なことなんだと具現化センサーが敏感に反応してんだなって」
R「そうだね、課題なんだろうね。だからさ、子どものこともそうだね。ちょこちょこふきちゃん最近聞いてきてくれるから」
F「はい。30代になったんでちょっと考えるようになりました」
R「課題として引き寄せそうだね」
F「いやもう!そうなんですよ、それ!それがね、今のわたしの重要トピックかもしれませ ん。自分は子どもを持つのかどうなのか?みたいなことがここからの10年、今30歳なので40歳くらいまでの間にありますね」
R「うんうん。もし流れがきたら、その乗り物に乗っかっちゃいましょう!」
F「そうですね。乗るのがまだ怖いんだーって思えました」
R「あーそっかそっか」
F「何が怖いかって、やっと今自由を手に入れたのに、何者かによって制限されるのがすごく嫌って思ってるのかもしれません」
R「なるほど!そこかもね!」
F「はい。子どもの頃からの夢だった、独立する、自営業で生きていくというスタイルがやっと叶ったのに」
R「うんうん」
F「誰かに邪魔されたくない。その誰かが同業他社じゃなくて、きっと子どもなんですよ。わたしにとっては」
R「あーそっかあ。なるほど」
F「ペース崩されたくない、みたいなことを思っているんでしょうね」
R「じゃあ、もうしばらく楽しんでみて。今の感じを」
F「ですねー」
R「わかんないよ、半年後なんて思ってるか」
F「いや!本当ですよ!」
R「本当に!ね!」
F「本当にそう。でも良かったです、わたし毎日Kanのフィードバックをやってる中で『なぜ子どもを作るのだろう?』みたいに思うことが多くて、人間はなんで子孫を残したいという願望を持つのか?って問題が膨らみすぎて本を読んで勉強するくらいに考えてたんですよ。その本能ってなんなの?どこから来るの?って」
R「あー。だからそれが今ふきちゃんの課題としていい意味で大きくなってきてるんだね」
F「これはきますねー。課題に近づいたなー」
R「きますねー」
F「いやだー」
R「いいねー。あははは。やっぱりその、どんなに賢い人でも体験しないとわからないこと、それはみんなあるじゃない」
F「はい」
R「今のふきちゃんに対して、年齢としては色んな体験してきたからこその深みがあるんだなって感じているんだけど、またそこに新たな課題を受け容れた時の様子とか、その成果が実った時、また更に深みを増して人格が熟成されていくっていうのが楽しみ」
F「恥ずかしいけれど、ありがとうございます!」

第9話に続く。
(次回更新予定日 : 10月2日)

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