『淡の間とわたし』
第9話
浅倉利衣さん × 淡の間
淡の間が「いま話を聞いてみたい人」を毎回ゲストに呼び、対談を進めていくマガジン『淡の間とわたし』。浅倉利衣さんを迎えて行われた対談もいよいよ終盤。前回に引き続き、淡の間が抱える未来への大きな不安を利衣さんに吐露。そして『Kan』をやる最大限のメリット。淡の間から利衣さんへのサプライズ質問など。ここでしか読めない、とってもプライベートな状態のふたりの対談をどうぞ最後までお楽しみください。
浅倉利衣さん(R)
淡の間(A)
淡の間のちょっと特殊な人生のなりたち
F「わたしの人生や人生展望って人並みと言われたらちょっと特殊だなって思うんですけど」
R「うんうん」
F「10代のころから、結婚ができるのか?とか子供が持てるのか?あるいは企業に就職ができるのか?とか どんな大学に行くのか?っていうことを全く考えていなくて」
R「うんうんうん」
F「一番関心があったことがわたしが何者かになれるのか?と言うことでした。何者かっていうのは、当時の自分の言葉ですけど、今で言うとわたしが将来のこととして考えていたことは自営業として自立できるのか?だったんですよね」
R「うんうん」
F「うちは公務員家系なんですけど、ずっと自分が大学生になるとか親と同じ公務員 になるとかどこかの企業の一員になるみたいなイメージがちっともできなくて。そのまま20代半ばまで来てしまって、ほんの数年前まで、なぜ人は進学をするのか?とかなぜ就職活動をするのか?とか、そこまでしてやりたいことがあるのかが本当にわからなかったんですよ」
R「うんうん」
F「そして20代半ば、本当にお金のない時期があって。必要最低限の人間の人権が守られるレベルの(笑)文化的な生活ができなかったんですよ。お給料が少な過ぎて」
R「はいはい」
F「病院にいけないとか、必要なものが買えないとか、健康的な食事が取れない、みたいな」
R「うんうんうん」
F「それを体験したときに初めて必要最低限以上の給料がもらえる仕事をするという選択肢を広げるための流れとして進学が必要だったんだなっていうのがやっとそこでわかりました。頭悪いですよね。愚か者なんです」
R「なるほどね。そういう方向からの気づきっていうのも面白いね」
F「結果的に自分のやり方で自分の道を見つけることができてすごく良かったという点は自信になってるんで すけどね」
R「うんうん」
F「出産とか子育てへの思考も同じ感じなんです。どうして世の中の皆さんはこんな苦労をして、自分を犠牲にしてまで子供を育てようとするのか?ということが、体験を通して後からやっと分かるんでしょうね。それが自分なりの形で着地する時ってなんなのかなっていう興味があります」
R「わたしも興味がある!」
F「未熟だけれど、そこが自分の良さかなと」
R「そうだね」
F「自分なりに答えを、体験を通して得ているところが、わたしの面白いところかもしれないです」
R「いつかそのふきちゃんなりの答えを聞きたい。それが楽しみ。もしそれが叶うのなら」
F「自分なりに答えを出したいと思います。今は未体験だから、完全に机上の空論状態。ただの概念ですもん。わたしの中では」
R「うんうん。まだ未体験のものだからね」
F「だから利衣さんを尊敬します子育てを楽しんでいるっていうだけでなく、母親という立場ですでに尊敬する。お母さんとか、親っていう職業がこの世で一番大変なんじゃないか?って思ってるから」
R「そうだね、うん。私にとっても、今までの人生の中においては、一番深い学びかもしれない」
F「今のわたしが子育てを未経験の状態でKanをやっているじゃないですか、そのくせに土台がどうのこうのとか偉そうに」
R「うんうん」
F「それがもし、今後母親という立場になった状態で改めてKanをやる時がきたら、また全然違う視点になりそうだなって思います」
R「うん!そうだね。絶対に違うと思うよ」
F「絶対違う気がします。わたしのところに来てくれる皆さんに、感謝しているんです。なんだろう、人生経験としてはまだまだ未熟すぎるから…」
R「うん、それは前に言ってたね。それはでも、また違った視点からのふきちゃんの魅力に惹かれているんじゃないかな。別に子育てのアドバイスを欲しいとかじゃなくって、 なんだろうな…分かっているのにどうしても抜け出せない状況に対して後押しをもらえると感じるからこそ来てくださってるんじゃない?なかなか自力で抜けきれない人とか、、」
F「確かに自分でもわかってるのに認められない人多いですよね、ずっと堂々巡りしている。自分でどうしていいかわかんないけど、自己責任で決めきれないとか誰かに決めて欲しい人とか、多いですもんね」
R「やっぱり一つは、見えないものに対する恐れ。見えない未来に対する恐れが一つが大きいのかなと思う。たとえばどんなに今辛い状況だとしても、既に”知っている”コンフォートゾーンを好みやすいというか。なぜならよく”知っている”から、予測ができるし驚く必要もないしリスクを負う必要もないしね。あとは感覚が麻痺してもうわかんなくなっちゃってる。例えるなら玉ねぎの皮みたいなものが覆い被さり過ぎて、元々の自分がなんだかわかんなくなっちゃってる」
F「うんうん」
R「それから違う何かに進んでいく時に、今の自分じゃなくなっちゃうのも怖いとかさ、変わりたいけれど今までの自分を否定してしまう感覚になってしまうみたいなさ、決してそうではないんだけど。うん、やっぱり恐怖心が結構多いのかなって」
F「そうですね。でも今日、利衣さんにわたしの子育てに対する不安をすごく話したことで、皆さんの気持ちも ちょっとわかりました。恐怖心というか、今まで体験したことのないことに対峙した時にどうなっちゃうかわかんない怖い気持ちがすごいわかったから」
R「話すことで分かること、あるよね」
F「はい。改めてわたしの中の怖い気持ちを見せられたのがよかったです」
R「うんうん」
F「だからこそ、やってみないと分かんないよ、がより強固になりましたね」
R「そうだね。怖い気持ちは誰にでもある、淡の間でさえもあるし、私にだってあるし」
F「ありますあります。全然あります」
R「けどわたしやっぱりここに戻るの。やっちゃお!って」
F「やっちゃおっ!て感じですね、とりあえず」
R「とりあえずやろ。それだけ。だって、教えてくれているんだから。たとえばもやもやしてる時、苦しい時、そっちじゃないよって教えてくれているサインなのかもしれないんだから、そこに素直になろって」
F「本当にそうですね!利衣さんに喋って良かったです」
R「良かった!」
F「Kanの話をしようと思ったんですけど、結局これもKanに繋がってますね」
R「そうだね、うんうん」
F「恐れを超えていく体験ってこういうこと」
R「いまここで淡の間の内側ををそのまま見せてくれて、そして自分で気づくプロセスを見せてくれて、更に親近感とかが深まりそう、読者さんの」
F「そうだといいな。わたしは全然完璧じゃないですから」
R「ふきちゃんがまたそこを越えていった時が楽しみだね」
F「そうですね。超えた結果2、3年後、ふきこジュニアが出現してるかもしれないですね」
R「楽しみ過ぎる。もしそうだとしたら、いとこのおばちゃん、お姉ちゃん(※利衣さんのこと)すぐ行くから」
F「いやーもうほんとに、ありがとうございます。ひとまず30代は淡の間をできるだけ全力で頑張る」
R「うんうんうん」
F「頑張るというか、急激に淡の間っていうのが出来てしまったので、その状況にようやく順応が出来てきました。この基盤を30代でより強固にして、40代、50代が子育てをしてるのか、あるいは子育てにならなくても世の中への還元とか育成みたいなことにもっと力を使ってる気がします」
R「うんうん。そんな感じする!」
F「今のわたしが一人で費やせる分のエネルギーを全て使ってもっと全力で今を生きないとなって改めて思いましたし。正直、いつ死んでも 良いくらいの気持ちがあると思うんですよ。毎日全力で生きてるから、後悔のないように。あれもこれもやっておけば良かったみたいな、正直今のわたしにはなくて。でも子どもが生ま れたりするとこの子を残して死ねない、みたいなことを思うでしょうね」
R「うんうん」
F「一瞬一瞬全力で生きている自分がいなくなっちゃうんじゃないかっていう恐怖があったのかもしれません。わたしの中では」
R「あーなるほどね。そっか」
F「はい。そういうことが自分の中で着地できて良かったなって思いました」
R「すごーい!今ここリトルライトKanしてたね」
F「リトルライトKanしてました!」
R「あはは。だからこういうのの積み重ねなんですよ、Kanって」
F「そうですね」
R「だから対話の時間も比較的多く設けてるしね。ミーティングだったり、ゲリラミーティングだったり。自分で話しながら、あれ?そうだったのかも?って気づいたりさ」
Kanを構成するチームワーク
F「そうですね、話しながら気づけます。だからKanをわたし1人でやってないのは、それが理由です。利衣さんとか亀井さんっていう共同主催がいるのは、わたし一人の意見だけだとすごく一方通行になってしまうから。あえてわたしのことを客観的に見る人、わたしが客観的に意見を仰げる人っていうのを置いてるんですけど、やっぱりそれで間違いなかったですね」
R「このチームワーク、わたし心地良いです」
F「Kanのチームワークはいいですよね、ほんと」
R「とてもいい。それぞれがそれぞれの得意な事とか役割を全うしていて、そして互いの役割を尊重している。それがすごく心地良い」
F「さっきタンゴのくだりで私1番イメージしたのがそれでしたもん。私たち3人でタンゴを踊っているのかも。タンゴじゃなくても3人でダンスしてる感じかな」
R「あー!」
F「こっちが何をしててもそれぞれの場所でわたしはわたしのステップ刻むね、という感じで3人のグループが構成されているのがわたしは心地良いなって思ってるんですよ」
R「あ〜すごーい」
F「この3人はそういう奇跡的なバランスで成り立ってるんじゃないかなと思っていて」
R「そうだねーほんとだねー。去年の6月くらいに初めてカウンセリングを通して電話だったけどお話ししてから、一年経ってお仕事も一緒にして、腹割ってこんなこと喋ってるんだよ。何が起こるなんて本当にわからないよね!」
F「わからないです。でもやっぱり直感は正しいって事ですね」
R「いや間違いないです!」
F「この人とは何かが始まるかもしれないとか、この人って面白いかもしれないって直感はやっぱりありますね」
R「ある!それもあるし、後は別の意味でも、この人ちょっと違うかも?ってファーストインプレッションも自分にとっては正しい。最初にふっと湧き上がる直感や、感覚って自分にとって1番正しいんだなって思う」
F「ね。胸騒ぎがすることで、結局良くなった事がないです」
R「あははは、わかる」
F「うまくいく時って最初からうまくいくんだけど」
R「ほんとそう。もっともっと感覚で生きていたい。余生はさらに感覚で生きていきたいなって思っ てるし、今もそれが心地良い」
F「自分が委ねられるベースがあるからって事も大きいですね」
R「そうだね。そのベースを作ってきたからそこに完全に委ねられるんだと思う。それがなかったらできない。わたしには今までの経験値というこの土台が必要で今ここに入れてるっていう感じかな」
F「利衣さんの言うタンゴのリズムを体験してみたいという人とか、自分の心の中にある怖いという気持ちに向き合ってみたい人は是非Kanに飛び込んで欲しいと思うけど、1ヶ月で収穫できると思ってる人は参加してもらいたいですね」
R「そう、ほんとそう」
F「この取材対談の中でわたしは、改めてKanとは何かというものは何か?ということに行き着きたかったんですけど、まとめると、Kanとは土台を形成することが何より大切ていう部分と、自分の内側にある自分と対話ができるようになることと、そして元々の感覚を取り戻して直感を信じられるようにすること」
R「うんうん」
F「あとは、なんですかね?」
R「自分の内は外、外は内っていうことが体感を通してわかるようになる。ルドルフシュタイナーの言葉で、自分を知りたければ世界を見なさい、社会を知りたければ自分を見なさいって言葉があるじゃない?今ではもう、すごいしっくりくる」
F「その通り」
R「それを体験できるっていうか」
F「そうですね、それを体験できる場だったり」
R「やっぱり自分の内側が荒れていると、外側の世界もすごい荒れているように見えやすいしね。つまり自分の内側と似たようなものの方に目がいくようになる。だから逆に、自分の内側が平和で満たされている時って、外側も幸せや感謝するようなものに目がいくから、内は外、外は内に目っていうのは必ず体感できるよね」
F「正しく。その世界を見たかったらKanに是非ご参加いただきたいですね」
R「見ましょ、見たいと思ってる方は」
F「ただ私たち超熱血なので、やっぱり楽じゃない時もありますけどね」
R「ふふふ。熱がすごいね」
F「熱量がすごいんです」
Kanをやる最大限のメリットとは
R「そう、そうなの。でもそれくらい本気だからね。やっぱり人それぞれが本来の自分で心地よい状態、自分を信頼できる状態になれば、そこから水の波紋のように、その人がまた周りの人を癒す流れが繋がっていくと思うから」
F「ほんとそうです。Kanをやる最大のメリットは色々ありますが、自分が良くなることで世界が良くなることを体験できる事だと思うんですよ」
R「うん、そうなの」
F「自己観察は社会貢献なんですよ」
R「社会貢献、ほんとうに。自分が本来の自分にあるだけで社会貢献。それはさっき子育ての話も出てたけど、だからこそお母さん、親はまず自分から。そうすれば自然と子供をどうこうするとかばかりに意識が向かなくなるんじゃないかなと思うんだ。子供も他人じゃない?やっぱり、家族といえど。だから、誰かをどうにかするじゃなくて、まずは自分っていうのを是非体感して欲しい」
F「そうですね。子どもがいうこと聞かないとか、目の前の誰かが気になってしょうがないと か、世の中が冷たく感じるみたいな、自分じゃない何かに対して疑問を感じてる人はぜひKanを通して自分の内側を見ると世界が変わるという体験をしてみて欲しいですね」
R「そうそう、ほんとにそう。この現象、今起こってるこの出来事は、わたしに何を見せてくれているんだろうなとか、ここにどんな学びが隠されているんだろうなみたいな見方ができるようになってくるじゃない。そうすると全然違うよね」
F「これはちょっと体験してみないとわかんない領域ですね」
R「はい、だから是非きてください」
F「ぜったいほかではない体験ができると思います」
R「ほんとそう思う」
F「うん。今は2期の最中でみんな辛そうですけどね!(※取材当時)」
R「そうだね。でも膿み出し中は辛いよね」
F「辛いですよね。でも、乗り越えられるから体験するのだと思う」
R「だってそれは私たちも体験してることじゃない」
F「うんうん」
R「とは言っても信じてもらいにくい時もあるんだけど『利衣さんは眩しいです』みたいな印象持たれることが多くて。Kanのプログラムの中で腹割って自分の体験語るまでは、受講してくださってる方々からもそういう感想が多かったよね」
F「うん、多かった。『利衣さんは眩しくて、なんでもできる』みたいな」
R「それって、何においても、どれだけいろんな物事を表面的に捉えているかが分かるよね」
F「そうですね。わたしと利衣さんが1番大事にしたい根っこの部分はKanの理念をブレずに掲げ続けること、そしてこれがいつか何かしらの社会貢献につながると思って、細く長くやっていくしかないですね」
R「そうだね。細かいところで内容を微調整したりとか、プログラムを工夫しても根本は変わんないはず」
F「うんうん。根本は変わんないけれど、このプログラムそのものがますます良くなっていくだけだってのはわかりますね」
R「ほんとうにそう。やっぱりKanについて熱く語っちゃうよね」
F「Kanは語っちゃいますね、ついつい。このインタビュー記事が公開されるのはそろそろ始まるであろう3期の方へのメッセージになると思います」
R「はい」
F「1期2期を経て3期を迎える私たち運営もかなりパワーアップしていると思うんですよ。益々レベルの高い内容をお届けできるようになっていると思うので。1期と2期の時にはとりあえず気になったら参加して〜くらいに思ってたけど、今はまじで本気の人だけ来てって思います」
R「うはは。ほんとだね」
F「それが伝わればいいな」
利衣さんの宝物とは?
R「ねぇねぇ。わたし逆にね、22の質問の中で、わたしが気になった質問ていうより、ふきちゃんが印象に残った回答ってありますか?」
F「うんと、最初にもらった利衣さんの回答の中で、持ち物の欄に『ショッピングバックと携帯』って書いてたじゃないですか」
R「うんうん。ほんとにそれ持ち物です」
F「持ち物少なっ!と思って」
R「むしろポケットに入れて手ぶらでどっか出かけるくらい」
F「超ミニマムな状態になってんなって思ったからちょっとここ広げられないわって思ったんですけど」(※編集部注釈:後ほど利衣さんより頂いたご回答でよりパワーアップした鞄の中身のお写真と回答を頂戴いたしました)
R「あはは」
F「そうだなー、あ!そう、1番大事なこと忘れてました!その人に宝物を聞く質問がありました」
R「おー!」
F「りえさんにとっての宝物をあとで写真に撮って送ってもらいたいのですが」
R「今パッと思い浮かんだのは写真に撮れないな。なんでかっていうと『経験』だから」
F「経験ねー!」
R「物じゃない」
F「その気持ち、すごいわかります。わたしも時間とか経験とか、頭の中のこと全て大切」
R「そう!もう経験だけ!経験がわたしにとっての宝物だから。経験のプロセスをか重ねることで、ワン&オンリーになっていく経年変化みたいなものがわたしにとって大切かな。時が経てば経つほど表面的な劣化にとらわれるのではなく、むしろ一層の輝き・オーラを放つみたいなのが理想。だからいま、歳を重ねていくことがやっぱりこれからも楽しみだと思ってる」
F「これまでとこれからの自分の体験が宝物ってことですね」
R「そう!」
F「素晴らしい…。あとはこれかな、わたしが聞きたかったのは淡の間のカウンセリングについてどのような印象を抱いていますか?に対して、丁寧、誠実、真摯、真剣、本質 的って書いてくださってて。ほんとありがとうございますなんです」
R「あー書いた書いた」
F「今Kanの2期やってる中で自分の心を揺さぶってるのが、わたしの言葉ってちゃんと届いてるんだろうか?っていうことなんです。わかりづらくないか?とか、方向性として間違っていないか?ということとか。そのことを結構毎日考えてるかも」
R「うんうん。わたしはすごく届いてる。わたしはね。わたしには届いてるよ。でもこれって、ふきちゃんがどんなに努力しようと、受け取る相手は受け取る相手の意思があるじゃない。それは無意識だったとしても」
F「うんうん」
R「ふきちゃんはふきちゃんの200パーセントをしてると思う。あとは届くか響くかは向こうの選択かな〜とおもってる」
F「そうだと思います」
R「効果があるないって決めるのは向こうの選択だし」
F「うんうん」
R「でもこっちはこっちでできる限りのことを精一杯やる、それしかないなって思ってるよ ね」
F「そうですね」
R「あとは、見守るっていうのが無条件の愛というか、大きな愛で見守るっていうか。その人の選択を見守るってことしかできないと思ってる」
F「うんうん」
R「無意識でも、たとえば、なかなか認めようとしない時、無意識ではあったとしてもそこから抜けたくないっていう選択をしているんだなと。、まだそのプロセスがその人にとってはが必要なんだろうな〜ととらえて、ただ見守る」
F「そうですね。抜け出さなきゃいけないと分かってるけどそこから抜け出せないって選んでるのもその人ですからね」
R「そう。だからまだその学びが必要で、それを選んでいるんだなってわたしは見ている」
F「そうですね」
R「うんうん。だからこちらが精一杯やってもそれを選ぶんだったら、本人の意思を尊重したいなって思うかな」
F「ありがとうございます。利衣さんから見たわたしっていうのを今日の対談の中で教えてもらえたことがわたしの自信に繋がりました」
R「本当?よかった」
F「ありがとうございました!」
R「こちらこそ〜」
F「利衣さんからなにか聞きたいことは他にないですか?」
R「えーっとね、淡の間に聞きたいことを聞きたいの。ふきちゃんじゃなくて淡の間に」
F「あはは」
心の御朱印帳集めを辞めた利衣さん
R「なんだろうなー、うーん。出会ってから今までのわたし自身の変化は感じる?」
F「感じます」
R「へーえ!」
F「それは具体的に言うと、心の御朱印書集めを辞めたっていうところだと思うんですけど」
R「ははは!」
F「そう、最初のテーマに戻るんですけどね」
R「その言葉のセンス好きだわ〜」
F「集めなくても、全部持ってるんだって気づけたからこその開放感っていうか。特に利衣さんが誰かと喋っているときにすごく感じるんですよ」
R「あっそうなんだ」
F「誰かを見下してるわけじゃないんですよ。ただ、話しながらものすごく物事を俯瞰してみてるなと感じます。1番最初に話した時はまだ暗黒期だったからか、今の利衣さんとは別の人みたいに感じるかも。今の本質的な安定感と頼もしさみたいなのが利衣さんの更なる魅力になってるイメージがあります」
R「あ、なるほど。それは自分でも体験を通してわかるかも。誰かを通して過去の自分を励ましてる感じ」
F「そうそう。過去の自分みたいな人たちを導くようにそれ越えたらこっち側に行けるからね、大丈夫だよって力強く伝えられているのは、自分の体験を通した自信として言語化しているから説得力があるんじゃないかなってすごく思います」
R「それと思い出したんだけど最後に一つ、淡の間にカウンセリングしてもらった時にホロスコープシート頂くじゃない」
F「はい!」
R「そこにさ、何かを生み出す人・それが物ではなくて自分の体験だったり価値だったりすると書いてあったの。それを最初に見たときに見えないものをどうやって表現する…?今まで物質的なものを手に入れたりとか、目に見える世界で頑張ってきたから、あまりピンときてなかったの」
F「その当時は、ですね」
R「今はわかる。体現する姿を見せればいいんだ、素直に」
F「そうですね。別に、何かを求めていくよりも、既にあるもので勝負するってことをやっと理解できたみたいな感じですよね」
R「頭じゃなくて全身で、魂で理解してるって感じ」
F「うんうんうん!」
R「だからほんと大丈夫なんです!ってまたみんなに熱く言ってる」
F「そうそう。大丈夫です。着地点は人それぞれ違うかもしれないんですけど、今が結構どん底だとか、どうしていいかわかんないっていう人ほど伸び代がある時期。こんなにキ ラキラ輝いて見える利衣さんですらその苦しい時期を乗り越えて発する言葉が今の眩しい状態に繋がっているので、全部経験値につながる。全てがかつての自分にとっての糧だったって思える日が来 ると思うのでそういう意味で勇気づけられるといいですね、この対談を読んだ方が」
R「ほんとだね、ほんとにそう」
F「あとKanに興味を持っている方がいるなら、花を咲かせるっていうよりかは良い状態で自分を育てられる土壌を作りに来てほしいです」
R「いやほんとそうだよ。1番最初に話してたように。ほんとに肥沃な土地作りがいちばん大事です」
F「そうですね」
R「あとはその人のペースとタイミングで芽を出していくから」
F「育っていきますからね。それを私たちも、もっともっと体現していきたいですね」
R「体現していきましょう」
F「はい!これからもよろしくお願いします」
R「よろしくお願いします!」