『淡の間とわたし』
第16話
齋藤めぐみさん × 淡の間
淡の間が「いま話を聞いてみたい人」を毎回ゲストに呼び、対談を進めていくマガジン『淡の間とわたし』シリーズ。6回目となる今回のゲストはフリーライターとしてご活躍される齋藤めぐみさん。淡の間とは同じ県・同じ学校出身というリアル同級生(!)のめぐみさんをお迎えした今回の「淡の間とわたし」は、同級生・同世代ならではのふたりの会話からスタートいたします。同じ学校で過ごしその後全く違う道を歩んだふたりのプライベートなお喋りを覗いているような気持ちでご覧くださいませ。(※今回の「淡の間とわたし」は構成の都合上、全2回となります。その分1記事あたりの密度が濃密となっておりますことをご了承くださいませ)
A「では改めてインタビューよろしくお願いします」
M「よろしくお願いします」
A「めぐちゃんとわたしというのは、わたしたちが短大の頃からの付き合いで、実は。ちょうど卒業してから11年なんだよね」
M「そうだね。10年経ったんだね。もうね」
A「そうそう。ちょうどわたしたちが短大を卒業したのが東日本大震災の年だったから。東日本大震災があるたびに、『わたしが社会に出てこんなになるんだな〜』と思うよ」
M「そうそう。そうだね。だって卒業発表の日だったもん」
A「卒業セレモニーが出来なかったんだよね」
M「そうそうそう」
A「幸いわたしたちの学校に通ってた人で悲しいことになった方はいなかったって聞いてる。家が大変なことになった方はいると思うけど…小学校に入ればゆとり教育になったり、生まれてくる頃にバブルがはじけてるし社会に出ようと思えばこれだしね」
M「そうそう。はじけてる」
A「ゆとり世代教育の体験、大学に入ってリーマンショックが起こって就職難になり、卒業で東日本大震災。そして、30代突入と同時にコロナショックっていうね」
M「まあまあ可哀想な世代だよね」
A「90年代前半生まれってかなり可哀想な世代」
M「ゆとり、さとりって言われてるけど、結構苦労してきてるよね」
A「そうなんだよね。親世代が見ていた景色とわたしたちが親世代と同じ時間軸で動いて見えてくる景色って全然違うじゃない」
M「違う違う」
A「与えられてきたことのギャップとかさ、比較した時の差みたいなものがすごいよね、大人になってみると」
M「それはすごく感じる。たぶん皆困ってるよね。親から言われてきた教育と、学校から受けてきた教育と、いざ社会に出てきた時のギャップがたぶんかなり激しいなと思う」
A「そうそうそう。本当にそうなのよ。ホロスコープ的にもそういう平成世代のわたしたちっていうのと、平成より前、いわゆる昭和の世代を生きていた人たちとはチャートの内容が本当に全く違う。わかりやすい節目があるんだよね、ホロスコープ的にも。しかもその影響は、大人になってその時にならないとわからないんだよ、実は。その時はっきりわかるわけではなく、節目に生まれた世代がその数年後に受ける影響として長期的に見ないとわからないことなの。その結果が親・学校・社会におけるそれぞれのギャップっていう苦しみがあると思うのね。そんな中でわたしはまだ独身で、子どももいなくて、好きなことをやらせてもらっているけど、めぐちゃんは結婚し、子どもを持ち、自分のキャリアを形成し、フリーの女性の個人事業主として働いているじゃないですか。今日は”なぜ自分が今の自分になったか”っていう話と、あと”わたし(淡の間)との出会い”というのをベースにお話し進めていきたいと思ってます。さっきも軽く話したけどわたし達は短大の同級生で、学科が同じで、部活が一緒だったんだよね」
M「そうそうサークルが同じでね」
A「めぐみさんはサックスを吹いていて、わたしはファゴットを吹いていた。短大ってたった2年しかないから、秒で終わってしまったね」
M「そう、サークルで時々会ってたね。もちろん仲はよかったけど、そこまで常に一緒ではない。授業はあまり被ってなかったと思う」
A「ていうよりわたし、本当に短大の記憶がないんだよね」
M「本当?本当に?」
A「うん。何故卒業できたのかも分からないくらい、短大にいなかったんだよね」
M「うそ、よく見たよ。同じサークルだったからかな」
A「それはサークルが一緒だったり、必修単元は確かに出てたかもしれないんだけど」
M「わたしはなんとなくふきちゃんて、目立つ子だった気がするんだよね。ファッションセンスもあったし、人より背が高くてスラッとしてる感じだったから、歩くと目立つっていうのもあったし。あとなんだろ、お友達と結構一緒にいたっていうのもあったから。なんか目立ってたよふきちゃん」
A「いやわたしね、自分が目立ってるって自覚はもちろんないんだけど」
M「なかったでしょう」
A「記憶がない。本当に。わたしは今自分がこの世界に生きてる実感とかいうと大げさな話だけど、自分の意志で生きているっていう感覚は社会人になってからようやく出来てきた。社会人じゃないな、25~26歳を過ぎてからようやく見えてきた部分か。短大とか高校とか、就職して数年20代半ばくらいまで、実家で過ごしていたこともあって親の影響がすごく強かったから、両親の選択の範囲内で生きてきたんだよね。だから自分で自分の進路を選んでるとか、自分のやりたいことを自分で選択できるようになるのはいつなんだろう?という思いをずっと抱えながら生きてきた。だから短大に通わせてもらったことは有難いし感謝しているけど、行きたくて行ったわけではなかったの。だから半分くらい『わたしは何でここにいるのかな?』というのがあったな。ただ高校生の時よりかは解放させてもらえた喜びがあって、アルバイトばかりしていたんだよね。アルバイトしては洋服を買って、東京に行っては洋服を買ってっていう日々だったからあの時ちゃんともう少し勉強していたら他の大学に編入するとか色んな道があったかもしれないけど色々考えが足りない未熟な時期だった。ただめぐちゃんは、わたしがそんな未熟な状態をふらふら過ごしている中でも一人、自分の道を見てたなと」
M「わたし、短大が元年みたいな年だったの」
A「そうなの?聞かせて」
M「モヤモヤ期が高校生くらいで終わって、『もう勉強しない』って思ったの。わたしは日大の特進だったんだけど大概の子が国公立大学を目指していくのね。勉強する子達ばっかりなの。国公立に届かなかった子でも東北学院大とか私立とかで四年生大学には行く。短大はない、って当時の先生から言われた。『短大に行った人はいない』って。しかも偏差値だけで見れば低かったでしょ、うちの短大って。だからめちゃくちゃ止められたんだけど。高校の時期が親の範囲内で生きてきた最後の時期で、もう勉強したいことないし、そこから4年間また何かっていうのはもう無理だと思って。『一番近い学校に行くから』っていうことで短大を選んで2年間やって、そこでとりあえず自分の学力と比べれば偏差値も低いってことだからちゃんと勉強はしますと。それで山形市内で、たぶん自分がいける範囲で一番いい就職先を選んで、そこでお金を貯めて自分の好きなことしますって方針を親に、バーンって言ったわけじゃないけど、自分の中でふっきれた時期だった。それでわりと、初めて外を見た子どもみたいな、ふきちゃんが見たような『気にせずやってんな〜』みたいな。」
A「すごいね、めぐちゃんは根がすごいど真面目なのに、この自由さってなんなんだろう?めちゃめちゃ不思議な人だったんだよね」
M「わたしもわたしで変な意味で目立ってただろうな」
A「そう、言葉を選ばず言うと、変な意味でめちゃめちゃ目立ってた」
M「あのねすごい色んな人から言われたの。なんかさ色んな人がいたじゃんあの短大って。ちょっとヤンキー臭する子もいっぱいいたじゃん」
A「わたし達の世代って小悪魔ageha、ポップティーンとギャルの後ろの世代」
M「いたんだよね、古着着たりしてさ。そういう子達もいたんだけど、そういう子たちからすっごいよくしてもらって。『あんたみたいな子好きだわ』って」
A「なんか優しいギャル多かったよね」
M「授業は一番前で聴くくせに、図書館で寝そべって本読んでんの好きだわ〜みたいなこと言われて、すごいよくしてもらって。だから一人でいても孤独を感じなかった」
A「そうね、なんかすごく優しい子が多かった印象がある。学年全体で」
M「すごく繊細な子が多かったね」
A「うん多かった。今めぐちゃんが高校から短大に至るまでの経緯を聞いてたじゃない。断片的にはめちゃめちゃわたしと被るところもあるのね。スタート地点は全然違うのに。一番共感したのは、『もう分かったから自分の力で通えるところ(に行く)』っていうところ」
M「わたしはやっぱり、決して仲が悪かったわけじゃないけれど、親に依存するのがすごく嫌だったの。子供の頃からずっとだけど。そこで東京行って、東京の大学に行って、っていうところにも自分の自由がないと思ってたの。経済的にも依存して。とりあえず2年間、最後の依存だけど、精神的にはいいやっていう感じになったのかな」
A「わたしも東京の大学とか、”学校”に通いたかったんだけど。わたしの親なりの選択基準っていうか許可基準があって、当時のわたしが向かいたい先は全然だめだったのね。でも今なら分かる。それは反対するっていうのがね、当時のわたしの未熟さからすると。だからわたしもお金を貯めて、『自分のやりたいことは自分でやるしかないんだ』っていう結論に至ったので、そういうわけでの妥協点みたいなものだったんだよね。短大っていう2年間の時間は。『与えられた時間』みたいな社会に出る前にプレゼントしてもらったっていう感じかなと思うんだけど。めぐちゃんが偉いのは、その間自分で勉強してたことで、わたしが未熟なのは、その間アルバイトばかりしてたこと」
M「でも方向性がね。わたしは就職すると思って短大に入ったからね。短大に入った年の夏にはインターンシップ生になっててガンガン就職説明会みたいなのに行ってた記憶がある。周りから見たら先走ってる感すごかったと思うけど」
A「『この人はそんなに何を生き急いでるんだろう?』とわたしもずっと思ってた。だからそこが感覚の違いだよね」
M「でも授業は教授のまん前で寝そべっているような子だったよ」
A「分かる。寝てるところもわたし見た記憶があるな」
M「皆優しく起こしてくれるんだよね」
A「めぐちゃんって他に2人といないキャラクターで。でも実際にわたしたちが2年生になった時にリーマンショックの影響がすごく強くなって就職が大変だったじゃない。だから結果的にめぐちゃんが1年生の時からやっていたことは正しかったと思う。そういう意味では、今もそうだけど、先見性のある人だと思ってるんだよね。先を見る力というかね」
M「あんまり今に執着がない。どうしても先のことを考えちゃう。今でもそうなんだけど。だからもうちょっと足元を見た方がいいかなと自分では思う」
A「わたしからするとそれも含めてだけど堅実に見えるけどね。堅実に今できることをしながら先を見てる人、ってイメージかな。だから結婚もすごく早かったよね。確かにすごく自由を求めている人なんだなと。『すごく真面目な人』から『この人は自分のための自由を求めるために勉強しているのだ』と印象が変わっていったの。途中から。だからこんなに早く結婚するなんて思わなかったの」
M「皆びっくりしてたし、わたしも人生の計画に結婚はなかった」
A「いい意味で多分やりたいことが沢山ある人だと思ったから。当分結婚しないと思ってたら、すごく早く結婚して。子どももぽんぽんと産んだから、ますます読めなくなった」
M「そうそう。それは自分でも本当にそう」
A「この人本当何考えてるんだろう?と」
M「でもね、そうだね。それは先を見過ぎて足元を見てなかった結果なんだよ。結婚はすごく良かったけど、結局今すぐ選べって言われたら急に来たことを選べなくって。でもまあ2年間くらいその当時夫とはお付き合いしてたから、夫の方が年上で適齢期だったの」
A「年上なんだ」
M「三つ上。彼の方がわりと適齢期だったから。もちろんわたしも結婚したかったから結婚したわけだけど、どちらかというと向こうが結婚したいって言うのにわたしが同意したような感じが流れだと思う。ギリギリまで、その当時23の終わりくらいだったから」
A「20歳過ぎて社会に出て2年くらい働いてっていう感じ」
M「短大の子ならともかく、高校の同級生とかはまだ学校卒業していない子とかいたからね」
A「大学院とかに行ってる子が多いよね」
M「早いなとは思ったけど、でもそれでお別れするという考えにもならなかったから。そう強い意志を持って結婚したわけではないかもね。流れに沿ったかたち」
A「イエスかノーで選択したらイエスかなと」
M「何だろ、先々は見るけどがっつり計画を立てるタイプでもないんだよね。粗方の方向性は『こう行きたい』っていうのはあるんだけど。何か違ったら違ったで楽しいじゃないって思っちゃうから、違う方に乗っかるんだよ、大概。大概予定立てて、それをぶっ壊すのが楽しいんだよね」
A「そうなのね。あとは短大の頃からめぐちゃんのブログが好きだったんだよね。本人にも伝えたことあるけど」
M「やってること今と全然変わんないの」
A「変わんないよね。短大の時になんか全く独自路線のブログを書いてて」
M「そうだね。その時から本名でやってた」
A「それがめちゃめちゃ特殊で色があって。その個人の特色がめちゃめちゃはっきりしてるのが、それがすごく好きで」
M「なんかコメントくれたことあるかな」
A「そうだよね。読んでたんだけど。でも今フリーライターをやっていて結果的にそれが高じたことになってるじゃない。あれだけいっぱい勉強して準備をして、もちろんそれが無駄だったわけじゃないんだけど、そこが(ブログが)今でも続いてるっていうのがわたしにとっては興味深いところかも」
M「うん、そうだね」
A「現場の展開が自分の中のどこから出て来たのか。どうやって今の自分をつくっていったのか、というところに興味があるかな」
M「なんか、目指していったって感じではないかな、やっぱり。書くことは好きだし、ずっと書いていられるし、書く分には苦にならないんだよね。自分で選んだけれどもある程度、結婚・出産って思い通りにならないことが多いから、結構仕事も、その当時会社員としてやってたから。じゃあそれ全部なくしたり、その不自由な中で何が出来るだろうって。やっぱり学生時代、その時は実家で暮らしてて不自由な時にやれたことが『書く』ことだったんだと思う。また書くことなら出来るかもって、大人になってから始めたことが広がっていったんだと思う」
A「結構早い段階から、年齢として若い20代の半ばくらいからもう週刊誌でコラムとか書いてたよね。どのくらいからやり始めてた?」
M「インタビューだったの。あれはたまたまインタビューをもらって。ちょくちょく答えてる形かな」
A「そのたまたまって言うのが、どこからだったのかなって」
M「わたしも一番最初の発端を先方に聞けずに終わってしまったんだけど、多分わたしが寄稿しているWEBサイトを見てくれたんだと思う。それで声をかけてくれて。最初はやっぱりその『ドラックストアの人』みたいな感じで」
A「ドラックストアのおすすめみたいな」
M「当時から顔と名前を出して記事を書いてるってのが珍しかったんだよね。皆匿名だったりとか。顔を出してないようなライターさんばかりとか」
A「ライターさんって匿名感あるっていうか。あまりプライバシー見えないもんね」
M「今でもそうなんだけど。その中で顔がはっきりしているっていうのがやっぱりメディアとかには大事だったみたいで。それで仕事をもらえるようになったんだよね」
A「そこから結構無意識に自分のブランディングをしてたのかな」
M「うんそうかも。なんかやっぱり隠しちゃうとさ。子どもの頃ブログやってた時もそうだったんだけど、隠しちゃうと書けなくなっちゃうんだよね。目立ちたいとかとは違う感覚なんだけど。名前を匿名にして、例えばペンネームにしちゃったり、アイコンを自分じゃないものにしちゃうと、そっちになっちゃうんだよね。だから書きたい自分の気持ちが書けなくなっちゃう。ひとつフィルターが厚くなっちゃうから。だから出すしかないんだよね」
A「えー面白い。自分ではないものになってしまうことで書けるって人もいると思う。例えばわたしはそう。『淡の間』っていう人格だと出来ることが色々あるけど、めぐちゃんの場合は『自分じゃないものになってしまったら、それは自分ではない』っていうことだよね」
M「言葉は良くないんだけど、書くことってわたしの中で排出することだから、デトックスみたいなものだから。飾って皆に披露するものではないんだよね、決して。出てくるものの加工はするけど、出てくるものをそのまんまが、本来わたしの書くことっていう作業だから。そこでひとつフィルターをかけちゃうと、やっぱり言葉が違ってきちゃうんだよね」
A「だから自分で勝負することが1番の最適解なんだね。それって人によってタイプが違うけど、スタンスが子どもの頃からたぶん変わってないのがすごいね」
M「変わってないのよー全然」
A「変わってないわけじゃなくて、その場その場でパワーアップしてるのがすごいよね」
M「確かに、本当に狙ってるっていう訳ではなくて。何か目標があったかっていうとないんだけど。ざっくりやっぱり『こう生きたい』っていうのが今でもあるんだろうね」
A「今の自分っていうものを繕わずに表現した結果が書き物であり、今の排出した、アウトプットだとしたら、その場その場のめぐちゃんの今生きている関心ごとが反映されているよね。その時のトピックがそのまま表れている。それが今はお金のことと、あと何だろ?今のライティングの軸って」
M「今はマネーと、あとライティングにはしてないけど子育てかな。マネーとライティングと子育てっていうのはすごい大きな軸」
A「あとなんかドラマの原稿も書いてたよね。原稿っていうかプロモーション?ブランディング?」
M「プロモーションも書いてるし、ラジオの脚本の原案とかも書いてる。お話。怖い話の原案みたいな」
A「怖い話の原案書いてるの?」
M「そうそう。ポッドキャストになるの。これもすごくラッキーなことに、大きなお仕事で」
A「すごいね」
M「まあ間にちゃんとしたプロの脚本家の方が入るんだけど」
A「えーそれはいつから聴けるの?」
M「この春夏くらいなのかな?ポッドキャストで。でもドラマのリリースもやってるよ」
A「ドラマのプロモーション、ていうのかな?何て言ったらいいのあのジャンルは」
M「公式サイトに記事を書く仕事かな」
A「何かそのクールの最中のドラマのあらすじじゃないけど」
M「そうなの。ねえちょっと戸を閉めていい?開けてたけど寒くなっちゃった」
A「閉めてください」
M「なんか、放送作家さんのアシスタントをしてるんだよね」
A「放送作家のアシスタントか」
M「だからその方が請け負ってる仕事で、そんなにがっつり難しくないようなことをわたしが補佐的にちょくちょくやってるような感じ」
A「プライベートのことだとさ、この間ご主人の転勤で東京から仙台に引っ越してきたじゃない。それは今やってるお仕事的には全く問題なくやれてる?」
M「うん何にも問題ない。ほとんどデスクワークだったし。そうだね、何も影響ないね」
A「本当に『今の時代の働き方』って感じだよね。なんかこういうこと言うのあれだけど」
M「そうだった」
A「妻であり母であり、ひとりの人間じゃない。だから自分ひとりの人間としてのキャリアを成立させていくことって難しいことじゃない。難しいことじゃないなんて言えないね、難しいことです。それで悩む人が多いんだけど。めぐちゃんの場合はその立場とか自分の状態とか場所も問わず、ものすごく精力的に広げているところは本当に素晴らしいなって」
M「それはそうだね」
A「それが叶うことって当たり前じゃないからさ」
M「わたしもたまに相談のDMとか来るけど、お話聞いてると思う。わたしが『出来るじゃん』って思ってることって、そんなに皆簡単にできることじゃないなって。それは思うようになった。最近とくに」
A「でもその簡単じゃなさをクリアして行くには、やっぱり『ブレなさ』って一つの重要なポイントだと思うのね。10代後半でめぐちゃんに会ったわたしは軽くカルチャーショックを受けた。『こんな感じでいいんだ』って結構びっくりしたんだよね。もちろんいい意味でね」
M「なんかすごいふきちゃんがわたしを見て、いじってくれるなっていうのはあったよ、昔から。何か一言、面白い一言くれるなって」
A「いじわるじゃないよね!?」
M「もちろん全然」
A「いじわるじゃなかったの伝わってるよね?すごく好きだった」
M「もちろんもちろん。なんかすごく面白がってるなあ〜わたしを、って」
A「そうなの、初めて出会った人種だったの」
M「でも大丈夫。色んな人から言われるからわたし気にしてなかった」
A「本当に初めて出会った人種で。そこから10年後大人になった時にその活躍とか見てると、やっぱりこういうタイプは自分のキャリアっていうものを独自の形に形成していけるんだなとは思う。だから日本人特有、って言うとよろしくないけど、同調・共感の傾向っていうのは、あり過ぎると本人の意識をだめにするなってすごく思う」
M「思う。子どもの頃のわたしを振り返ってもそう思う。やっぱりよく曲げなかったなって」
A「本当にすごいことだと思う」
M「多分うちの子ども達も何かでつまずくことが出てくると思うのね。わたしの子だからさ、何か周りと合わせたくないなってあると思うんだけど。そこで、合わせておけとは言えないよね。大丈夫何とかなるからって感じだよね」
A「わたしとめぐちゃん、勝手に感じてる共通点ってハングリー精神みたいなものなのね」
M「わかるわかる」
A「どうにかして自分の力で切り開いてやろうっていうか。自分の力で自分の夢を叶えようっていうハングリー精神がお互いあると思う」
M「そうだね。子どもの頃は特に同調圧力が強いところにいたから。そこで与えられるものに『幸せ』とはどうしても思えなかったから。『じゃあ一人で行くわ』って感じだったんだよね」
A「めぐちゃんはそれがずいぶん早いうちから出来たと思うけど、わたしは本当の意味で親から独立したり自分の道を開けるようになってから本当に3~4年くらいしか経ってないんだよね。出来るようになってからすっごく短い。だから、その時間がありがたくて、もったいないんだよね。限られた時間ではないんだけど、まだ先も長いんだけどあっという間に過ぎていくじゃない?30代。だからその中で何が出来るだろう?っていうのと、若い頃の時間を無駄にしてしまったなっていう感覚もすごく強いの。『なんであの時もっとちゃんとやらなかったんだろう』と、これからの自分の人生の中で後悔したくないからやろうと思ったのもオンラインサロンなんだけどね」
M「そっかー」
A「でもそのオンラインサロンとしてのメイン講師をめぐちゃんにお願いしてるじゃない。それはいい意味で、何て言ったらいいんだろう。『嘘のない生き方をしてる人』と関わりたいの。そうしないとそういうものを作れないから。そういう意味では身近で一番噓のない生き方をしてる人って、自分の学んできた同級生っていう軸の中だったら、めぐちゃんがそれに近いよね」
M「うれしい」
A「本当に。あんな小さな短大からよくこんな人材出て来たなって」
M「それはお互いさまだよ」
A「いやでも変な学年かも」
M「皆びっくりするんじゃない?わたしたちが話してるの見たら」
A「でもさ、わたしも大好きでめぐちゃんにとってはゼミの先生だったわたしたちの大好きな先生がお亡くなりになったじゃない。ちょっと前に」
M「うん」
A「その先生ってわたしの人生の中でもターニングポイントでよく現れる」
M「そうなの?」
A「実は転職のタイミングで短大に遊びに行ったり、ドイツに行くタイミングで短大に遊びに行ったりとか。わたしあそこの図書館が好きで」
M「いいよね」
A「あそこで勉強したり調べものをするのが好きだったんだけど。それで購買に行くとなんか先生がいるのね。それでわたし、ずっと悩んでたから。20代の時なんて。『淡の間』になるまでずっと悩み続けてた。それでおちのない悩みとかを聞いてもらってたんだけど、その時ドイツに行く1年前に先生に会った時、『そんなに悩んでないで、僕がアイスクリームを買ってあげるから』みたいなこと言ってくれて。すごく嬉しかったんだけど『ごめん!お金がない!』って言いだして、結局わたしが買ってあげたの。『ちょっと待ってよ!?』みたいな感じだけど一緒に笑いながらアイス食べて。それでまたお会いしたいなって思ってるうちに、亡くなったんだよね」
M「わたしは卒業して以来ほとんど会ってなかったんだよね。仕事もすごく忙しかったし。県外に行ってる時もあったから会ってなくて。結婚式の時も出席お願いしたんだけど、やっぱりちょっと持病が悪くなっちゃったっていうことで電報でっていうことかな。ご挨拶行かなきゃなっていう時に、亡くなっていることが分かって」
A「すごくかわいい先生だったよね」
M「あの人もずっとやりたいことをやってた人だったから。何かわたしたちのやりたい先があの人みたいかもしれないし」
A「ああなれたらいいよね」
M「うんずっと自分のやりたいことを。自分大好きだったしさ」
A「そうそうそう。で、最終的に先生にアイスを買ってあげたみたいなのが最後の思い出になっちゃって」
M「あっわたし飲みに行ったわ一緒に。社会人になって1~2年くらいしてから。そうだ、今思い出した。ごめん先生。一緒に行きつけの飲み屋に連れて行ってもらってさ、飲んだわ」
A「うそー」
M「うん。卒業してから」
A「全然思い出あるじゃん!」
M「思い出あったあった」
A「忘れられてる」
M「はは」
A「ちょっとごめん脱線したけどさ、改めて。めぐちゃんが今の自分を形成する上で人生で最も影響を受けたものはなんでしたか?」
M「影響を受けたものか。何だろう。幼少期はやっぱ親かもね。ほとんど親への反骨精神で生きてきた感じはあるかも。結婚したら、もう『家族が大好きー!』っていう気持ちかな」
A「今振り返ってそれはどうだった?自分自身が親になってみて」
M「親になってみて、そうだなー。言葉を選ばずに言えば、よくやったと思うよ。自分の小っちゃい頃。まあ何か別にひどいことされたって記憶はないけど、やっぱり生きづらかったよねっていうのは今でも思う。そこで大きな問題も起こさず、事件も起こさず、子ども産んで孫見せてるわたしえらいなって思うよ。時々自分でも」
A「本当だね」
M「当時の自分を振り返ると、それでも客観的に見ると幸せな家庭に育ってるはずだから、そこで文句言っちゃいけないのかなって思ってたんだけど、時々実家帰ると『あの時よくやってた、自分』って褒めたくなるよ」
A「正しいな、ってね。そうなんだよね。客観的に見てどう見えるかっていうこととさ、その一人の子どもの幸せにそのままそれがイコールになるかって言うと全然違うんだよね」
M「そうだね」
A「親は親、子は子で全く違う存在で、それぞれがその全く違った人権を持ってるんだけどさ。どうしても親に依存していなきゃいけない状態の子どもって、親含めた人格になっちゃうからさ。そこがさっき最初に出て来たけどさ、親が求めるもの、学校が求めるもの、社会が求めるそれぞれが、そしてその子が求めるそれっていうのがさ、方向性が違えば違うほど苦しくなってくるんだよね」
M「結構子どもってそういうの先回りして感じるしね」
A「本当にそうね。すごいわ、それは」
「淡の間とわたし」第17話へつづく。